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~ 人類学者の徒然なる詩考と猛想 ~

チベット文字とウルトラマン [LHASA・TIBET]

駐在日記

ゆらゆらと 揺れる木漏れ日 秋の風 

 

 

 

 

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(部屋の窓)

 

昨日、チベット大学の新しい日本人留学生6、7人と一緒に夕食に行った。

若者たちといろいろ話ができてとても楽しい時間だったが、

僕が初めてチベット語を勉強し始めた十一年前のことを思い出す。

 

秋、ひとり、寂寥感、チベット語、研究・・。

いろんな不安と夢想。

 

今日は、当時の断片的な妄想をひとつ取り上げて書こうと思う。

 

* * *

 

初めてチベット語チベット文字に触れたころ。

 

あるとき、ひとつひとつ文字の形を丁寧に真似しながら、集中して机に向かっていた。

おそらくは、習いたての単語の綴りを復習していたのかもしれない。

そしてその只中、奇妙な既視感(のようなもの)が降ってきた。

「この文字は、ずっと以前見たことがある・・」と、ふと思ったのだ。

不思議な感覚であったが、それがどこから来るものかは、

しばらくはよく分からないままであった。

 

これをチベット人などに話すと、

それは前世お前がチベット人だったからだと

お決まりのように言われるのだが(笑)、

前世云々ではないのは明らかのような気がしていた。

 

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チベット語の楷書)

 

そして、チベット語の草書(筆記体)を習い始めたとき、

ますますこの奇妙な感覚は強まっていったが、

あるとき、やっと分かったのだった。

 

チベット文字は、ウルトラサインに似ている。

 

ウルトラサインとは、知る人ぞ知る、ウルトラの兄弟各自が秘めている

聖なるサインのことで、ウルトラマンが怪獣にやられそうなピンチのとき、

このウルトラサインを空に放つのである。

(すると多くの場合、ウルトラ兄弟の長男格であるゾフィーが、宇宙/空から助けにやってくるのである)

ウルトラマンの超・大ファンであった僕にとって、

この得体のしれない光輝くウルトラ文字は、心の奥深くに刻まれていたのである。

 

そして、随分年月が経ってから出遭ったチベット文字は、

幼少期に出遭ったウルトラサインの形と非常によく似ていると、直感的に感じたのであった。

 

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チベット語の草書)

 

この、わくわくしてくるような類似性は、至極主観的な思い込みで、

なんの説明も根拠もない、「空虚な」事実である。

しばらくは個人の密かな「発見」として、自分の心の中で落ち着いていたが、

数年以上たってから、ある興味深い事実が、

日本のサブカルチャー専門家の論文(英語だったと思う)の中で説かれているのを見かけた。

 

ウルトラサインは、梵字から作られたものである。

 

梵字とは、古代インド語のサンスクリット語に由来している文字のことで、

平安時代空海などによってもたらされ、

日本の仏教世界で広く真言マントラ)として広まっているものである。

梵字が、卒塔婆や護符などの上に刻まれる聖なる文字として用いられているのを、

思い出す人も多いであろう。

 

ウルトラサインは、その梵字をデフォルメさせて生まれた、というのである。

 

ここで、チベット文字はウルトラサインだとの僕の初期の直観/妄想は、輪を結んでくる。

つまり、チベット文字サンスクリット文字(もしくは、その派生語・親戚語)から

生成されたという史実を考慮すると、チベット文字は、

サンスクリット文字・梵字を媒介にして、ウルトラ文字に繋がってくるのである。

 

これは、驚きの「発見」であった。

そして、とても嬉しかった。

ウルトラマンの世界とチベット世界が繋がったのである!

これは凄い事実である!

 

* * *

 

しかしここでは敢えて批判的に考えてみよう。

「ウルトラサインは、梵字から生まれた」という主張は、

どれほどまでに信憑性があるのであろうか。

ネットなどで検索してみると分かるが、

ウルトラサインと梵字の形態は、似ても似つかぬものである。

デフォルメ加減にもほどがある。

円谷プロなどに問い合わせて、関係者の方々にちゃんとお話をお伺いしないと、

つかの間の喜び・発見に終わってしまう。

 

だが、つかの間で終わりたくない。

そう思うのは、チベット文字とウルトラ文字の切っても切れない因縁を強く感じるからである。

 

おそらくこの感覚は、文字の形態などという物語の中身の具体的パーツではなく、

ウルトラ神話とチベット仏教に共通している、物語の構造そのものに深い共通性があるところに拠っている。

(だんだん論文みたいになってきて、恐縮だが・・)

 

つまりはこういうことである。

ウルトラマンの物語の基底にあるものは、

怪獣や超獣といった敵に対して、「光の国」から、「ぼくらのため」に

地球を「救済」しに正義の味方がやって来るというものである。

これに対して、(チベットや日本の)仏教にある物語は、

苦しみに喘ぐ生きとし生けるものを救済するために、

神仏が天界からこの人間界に顕現するのである。

 

つまりはウルトラマンも神仏も、光の彼方、空の彼方から降臨する存在であり、

そこには、無力な人類を常に見守り、救済する、という遠大で崇高な理想が横たわっている。

 

ちょっと収拾がつかなくなりそうなのでここで止めておくが(笑)、

日本のサブカルチャーの中には、仏教や神秘思想などのモチーフがふんだんに用いられており、

ウルトラマンにも仏教的、メシア的なテーマが流れているのである。

そのウルトラマンの物語の中で、チベット的なものが少し垣間見えるのは、

十分ありえることであり、上の僕のウルトラ文字とチベット文字を繋げた直感は、

おそらくは超感覚的なものでは決してなく、

物語の構造に魅せられた精神がこしらえた産物なのかもしれないのである。

 

(やっぱり、論文みたいになってしまった・・苦笑)

 

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(ラサの小学校の正門すぐそばの、文房具屋などで売られているウルトラマン人形)

 

ところかわって、今のラサ。

今のラサの子供たちの間では、ウルトラマンが大人気である。

 

僕のチベット人の友達の甥は7歳であるが、

この甥にその友達が、ウルトラマン映画のDVDをプレゼントしようとしたところ、

その子の両親から止められたようである。

話をきくとこのチベタンの子供は、ウルトラマンにまるで憑依されてしまったかのように、

昼間学校では、クラスメートを怪獣に見立てて、ウルトラマンごっこに明け暮れ、

夜は夜で、寝言でなにかを叫びながら、スペシウム光線の姿勢をとるらしいのである。

それで両親は困っているそうなのである。

 

ウルトラマンは、国境を越え、文化を越えて受け入れられているが、

やはりそこで気になるのは、ウルトラマンという思想>であり、

その思想の源流であり、その思想を追い求める我々の精神の働きである。

 

チベット人がどのようにウルトラマンを観ているのか、とても興味深いところである。

 

Daisuke Murakami

 

* もうすぐ日本に一時帰国します。10月1日には風のチベット講座を東京で開催します。

 

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(日向ぼっこをする飼い猫シロ)

 

9月20日

(ラサの)天気: くもり時々晴れ、時折夕立あり。

(ラサの)気温: 11~23度 

(ラサでの)服装: 昼間はシャツ、Tシャツ、フリースなど。太陽が出ると、かなり暑いです。夜はフリースなど。日焼け対策は必須。空気は非常に乾燥しています。雨具は持ってきたほうがよいでしょう。ゴアテックスの雨合羽は非常に便利です。