ラサへ、再び。[LHASA・TIBET]
二ヶ月ぶりのラサ。
長かった春。
ラサに帰ってきた。
ラサの風景はいつもの日常と変わらず。
祈り、
大袈裟すぎる警備、
そして、内外の観光客たち。
曇りの日も多いが、異様に温かく、
今年の夏も猛暑になるような予感がする。
それにしても、我が日本。
この突如として降りかかってきた災難は、
個々人から家族、学校、会社、そして国レベルにまで、
それこそ同時進行で共有され、
立ち向うべき宿命として脳裏と骨肉に深く刻み込まれた。
戦争ならいざしらず、これは天災なので、
否応なく共闘態勢となり、それはそうあるべきであろう。
我々を確実に変えてしまった東日本大震災。
変えてしまった、というか、
変わらないとならない。
「がんばれ」とか「がんばろう」という言葉を、
被災された方々に安易に投げかけるのは、よくないとよく言われる。
たしかにそうであろう。
しかし実際これらの言葉は、被災していない側の我々が、
自分自身を鼓舞するための言葉、そして、誓いの言葉なのである。
がんばろう、にっぽん。
がんばろう、日本人であることを。
今年度も、チベット・ラサでの駐在生活が始まった。
そして、もうかれこれこの駐在日記も、4年以上書いている。
よく話題に事欠かないな、と自分でも思うのだが、
チベットはそれこそ万華鏡のように、変容をとめないその文様と
色彩と光の陰影で、目の前に立ちあらわれる宇宙の総体のようなものなのである。
我々の方から少し踏み込めば、お返しの贈り物のように、
これでもかと言わんばかりに、いろんな世界を開陳し、
我々を充溢した、そして、幸せな気分にさせてくれるのである。
憚らず表現すると、
それが、<チベットという宇宙>、なのである。
チベットに限らず、
旅とか異文化体験というのは、畢竟そのようなもので、
それは、一歩踏み出すことのできたすべての者の特権といえよう。
* * *
今回の震災と原発は、望もうと望まないとも、
我々の精神の深いところまで到達し、ある部分は強く再固定化し、
ある別の部分の精神構造は、急激な変革を強いられているような気がする。
それは何か、よく分からないが、
今はあまりそれについては考えないほうがよい。
意味がないから。
ただひとつ言えるのは、
いま目の前にある現実を(新たに)引き受けることが、
<いかに大切か>、ということである。
サラリーマンは会社のため、自分のために働き、
芸術家は芸術を創り続け、
主婦は主婦業に専念し、
研究者は研究に没頭する。
自分のこの日常を(新たに)引き受ける事が、
日本という風土に住んでいる人たち、
そして世界にまで、微かであるとも、いかに広く深くつながっているか、
そのことに耳をすますのである。
その当り前すぎて聴こえにくいメッセージが、
感知できるのだ、届くことがあるかもしれない、
共有することができるかもしれない、
という意志にも似た希望である。
その希望が、一瞬だけ可視化/実体化したのが、今春の震災であった。
そしてそれは、
少しずつだが、明確に、別の形で、実体化していくように思えるし、
そうでなければならない。
*
この、ブログ日記という媒体で、
日本語という空間の中で、
(それがどれだけ限定的な内容であっても)チベットについて書いている
我が身を振り返ると、今更ながら不思議な感じがするが、
これからもこの<日常>から、再出発したい。
願わくば、
チベットという万華鏡に、うまく光をあてて、
みなさんにチベットの空気を少しでも味わってもらえるように。
4月20日
(ラサの)天気: くもり時々晴れ
(ラサの)気温: 5~18度
(ラサでの)服装: 昼間はシャツ、フリースなど。 夜は(厚手の)フリース、ジャンパーなど。 日焼け対策は必須。 空気は非常に乾燥しています。念のために、雨具は持ってきたほうがよいでしょう。また、風も強く吹くことも多いので、マスクなども役立ちます。