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~ 人類学者の徒然なる詩考と猛想 ~

ラサのサイコロ、東京の龍神 [TOKYO・LHASA]

Daisuke Murakamiのチベット駐在日記

「ホーァーー!!!」

「ハァー!」

「ショッ!!」

 

ラサのサイコロ遊戯・ショに興じるラサ男たちの

掛け声を表わすとこうなろうか。

 

ラサ・バルコルの路地裏に入ったり、地元の茶館などにいくと、

どこからともなくこのような大きな掛け声が聞こえてくる。

対戦相手を威嚇するためか、自分に気合を入れるためかわからないが、

声にもドスめいた調子が入っている。

チベット男は(特にラサ男は)大のサイコロ賭博好き、といってもよかろう。

 

 

 

 

一般のチベット人にとってみれば、サイコロは賭博道具にすぎないが、

実は、チベット高原に住む人々はずっと昔から、

サイコロという不思議なモノに魅せられてきた。

宗教的にも呪術的にも最重要アイテムであったのだ。

 

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(サイコロ遊戯・ショに興じるラサ人)

 

先月になるが、

数年ほど前に書いたチベットの賽子賭博遊戯に関する論文が公になった。

半年前このブログで紹介した論文と同じく、

ダウンロード可能となっているので、

もしみなさんご興味があればこちらをどうぞ!

(英語論文となっているが、口頭発表の書下ろしをそのまま論文の形に

仕上げたものなので読みやすいと思う。)

 

内容は、サイコロ遊戯のルールやその社会性を俯瞰しながら、

その<古代宗教的な>要素を議論するもの。

また、この遊戯賭博を行う時に男たちのあいだで興じられる、

「ショプシェ―」と呼ばれる言葉遊びについても触れている。

ショプシェ―は、自分の好む賽子の目を出すための祈り(呪文?)の句であり、

酒の勢いを借りつつ、即興的なウィットで紡がれる。

 

周囲に笑いを呼び起こし、その賭博の場を<自分の場>とすることによって、

運気を自分に呼び寄せる―、そういう本能が見え隠れする。

 

チベット人とはどういう民族で、どのようなことに関心を持っているか―。

「信心深い」チベット人の心のありようを知るためには、

仏教経典や、ラマたちが行っている法話に求めるのも道のひとつだと思うが、

やはり本音というか、あまり世間の目には触れないような(触れさせたくないような)

秘教的な暗部や激烈な皮肉は、

諺やユーモアだったり、ショプシェ―のような民俗のなかに

ひょいと顔をあらわすものだ。

 

それはおそらくイギリスでも中国でも、そして日本でも同じであろう。

 

ここでは詳細は紹介せぬが、

ショプシェ―の例をひとつだけ。

 

「そのラマは罪業を重ねるなと説法するが、当人は陰で何でもやりまくり!」

 

 

・・・

信心深いチベット人は、ただ単に信心深いだけではないというのが、

その信心深さの根底にあるのだ。

 

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(ショに興じる人々が描かれたポタラの壁画)

 

ところで、チベット好きの日本人の方が、

なんとこのチベット賽子遊戯を、スマホコンピューターゲームのアプリとして開発された。

僕も何度かやったことがあるが、

単なるオタクレベルを超え、情熱というかなんとも言えぬ迫力を感じさせる力作だ。

 

本土チベット人、そして亡命チベット人からアンケートをとりながら、

ショの複雑なルールをアプリに反映させるという、きめ細やかさである。

そして最近、さらにアップグレードしたようだ。

人気無料アプリなので、ここに紹介しておく。

 

iPhone版Android版facebook版

 

チベット伝統の遊戯であるということだけではなく、

日本人的な繊細さが垣間見える、とても興味深いものだと思うので、

みなさんも、ダウンロードして体験してみてはいかがだろうか。

facebook版は、pc上でもできる。)

 

このアプリの製作者は、武田知明さん。

ご本人は謙遜されるが、ラサのチベタンのあいだでも「日本人の作ったアプリ」として有名になっている。

武田さんから聞くに、今のところiPhone版とAndroid版の累計ダウンロードは総計約5万で、

そのうち中国国内でのダウンロード数は1.8万らしい。

 

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(東京)

 

ここで話は、チベットから離れ、近況を少し。

 

東京に住み始めてはや一か月!

気になることはごまんとあるのだが(笑)、

そのうちのひとつは「街から山が見えないこと」(!)

 

ラサはもちろん、大阪でさえちょっと高いところにいけば山は見える。

ラサで言えば八大吉祥の山々、

大阪で言えば六甲山であり生駒であり、高野山箕面の山々である。

 

田舎臭い観点なのかもしれないが、

近くに見える・登れる山があるというのは案外、人間の精神安定上、重要ではなかろうか。

それは僕が、チベットに長く住んでいたというのも影響しているであろう。

が、山というものはやはり、ただっ広い空間の句読点のようなものであり、自分が今どこにいるか、

どこにいったらよいか、指し示してくれる心の拠り所となるものだ。

そして時間がたつにつれて、単なる心の拠り所から徐々に変わっていき、

我々のこころを整えるきっかけを与えてくれる「おおきなもの」になっていく。

そこで山は山以上の存在となり、我々を包んでいくのだ・・。

それは、観念的にも、リアルな感覚としても、そうであろう。

 

ここでフロイトなんかを持ち出して、

「山は乳房の象徴で・・」、などと言うつもりはないが、

母なる世界への飽くなき欲望として、無意識のうちに求めているのかもしれない。

ちょうど日本の修験道の伝統の基層が、そういうものに根差しているように。

 

東京では天気が良いと、富士山が見える場所もあるが、

あの富士山は、乳房の世界をはるかに超えて、彼岸の世界というか、

「宇宙的」ともいえるアナザー・ワールドを文字通り体現している感じなので、

僕が今述べている「寄りかかれる山」とは

本質的には違うような気がする。

 

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玉川上水の遊歩道。木漏れ日が美しい。)

 

一方、意外なことに、東京の中心には緑は多い

僕のいま住んでいる近くにも「玉川上水」という非常に美しい、小渓谷のような風景が広がっている。

先日、ここに偶然迷い込んだとき、トトロの森に突如入り込んだような錯覚がしたものだ。

水遊びをする子供たちはもちろん、

散策する大人や学生たちも心なしか、都心とは違う表情をしている。

さらさらと流れる水の両側に緑が繁々と連なり、独特の「気」を生み出しており、

みなが浄化されながら、身体の気が一回りも二回りも大きくなり、

知らないうちにお互いに交わりあっている、といったらよいだろうか。

 

こういう水気のある、気持ちいい場所には必ずと言っていいほど、龍神(ル)が棲んでいるものだ

チベット人ならこういう場所には五色のタルチョを掲げ、

ルに捧げるお香の香炉をどかんと置き、

そして少し離れた場所には、「ここにルがおるゆえ、大小便を禁ず」などという

立て看板をたてかけることだろう。

 

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(いかにもルのいる気配がする・・)

 

あの怒涛の新宿から電車で一時間もかからないところに、

チベット人がタルチョを掲げたくなるようなトトロ的風景が広がっているのは、

東京も案外悪くないのだなぁ、と思う。

 

ところで、この玉川上水の遊歩道にはたくさんの小動物たちがいる。

名も知らぬ野鳥たちの鳴き声が聞こえ、人を恐れぬ野良猫も何匹か見た。

夏にはカブトやクワガタもたくさんいるようだ。

この間自転車で走っていたときは、も見たかな。

 

蛇はル(龍神)が変化(へんげ)したものなので、いるのは当然だとは思うが、

なかなか東京の龍神様は、素敵な棲み処を見つけられたものである。

 

また近いうちに「参拝」に行こうと思う。

ラサから持ってきたタルチョを掲げたら、東京の人々から怒られるかな?(笑)

 

Daisuke/Murakami

 

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(ラサの水場に立てかけられたタルチョ)

 

 

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