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~ 人類学者の徒然なる詩考と猛想 ~

2014年ロサール・タシデレ!― 東北・金華山復興協議会ワークキャンプに参加して ― [LHASA・TIBET]

Daisuke Murakamiのチベット駐在日記

ラサより、あけましておめでとうございます!(ロサール・タシデレ!)

 

旧年中は、たまにしかアップしないこのブログに(苦笑)

辛抱強くお付き合い頂きありがとうございました。

今年は、もうちょっと頻度をアップしますので、どうぞよろしくお願い致します。

 

 

 

 

(2014年、ラサの初日の出。)

 

去年はチベットにいる間は、ほとんどずーっとラサにいた。

先月半ば、たった二日間、ロカ地方へ巡礼調査に行っただけで、

ラサに閉じこまれっぱなしであった。

なんたる幽閉状態!! こうラサにずっといると、

(みなさんは想像しにくいかもしれないが)意外にストレスがたまるものである。

チベット語でストレスに相当する言葉は見つからないのだが、

あえて探していくと「ディプ」という語になるか。

これは「穢れ」という意味である。

そして、ディプを洗い清める手段として

チベット人の間で最も勧められるのが、巡礼なのである。

聖地を巡礼し神仏のご加護を頂き、

地酒片手に歌い踊りつつ、青空の下でピクニックをするという、

聖俗混交するなんともチベタンチックな習慣なのだ。

 

(先月巡礼してきたグルリンポチェの聖地・シェダク窟)

 

このチベット人のリアルな教えに素直にならい、

去年日本に滞在中、僕はいろんな場所に巡礼旅行にいってきた。

北海道から沖縄まで、短いながらゆったりと、薄いも濃いも、

期待外れも想定外も、いろいろだ。

 

そしてそのなかで、もっとも印象に残った場所のひとつが、宮城県金華山、であった。

恐山、出羽三山と並んで、奥州三大霊場のひとつに数えられる東北きっての聖地

(正確には、「聖島」)である。

 

風の旅行社では、2011年の東北の震災・津波被害の後、

金華山黄金山神社の修復・復興のため支援活動ツアーを数年来実施している。

 

僕が昨秋参加したのは、このツアー企画を記念しての、

「金華山観光復興協議会ワークキャンプ」という催しだ。

参加メンバーが、東北学の赤坂憲雄先生、羽黒山修験道の先達・星野文紘氏、

そして津軽三味線奏者・二代目高橋竹山氏という、非常に豪華な顔ぶれである。

 

この二日間の時間を、時系列にすべて書き記そうとするのは無理であろう。

それほど濃い時間であった。(おそらくツアー参加者の方々もそうであったと思う。)

ここではぎゅっと絞って、感じるところを少し展開していきたい。

僕が最も深く心に残った、もう一人の参加者、

東北の民俗学者・結城登美雄(ゆうきとみお)先生のお話である。

 

黄金山神社の座す金華山

 

「この人は一体、何者なんだろう?」

 

僕は先生の講演の途中から、そういう思いが頭をよぎった。

淀みなく物語るその声は、

まるで「ユウキ・トミオ」という人間の体を借りて、

大地の声、海の声が、流れ出ているようであった。

これは決して大袈裟ではない。

この声は、この声に付随してくるなにかは、

先生という個人の個性なのか、東北という土地からくるものなのか、もしくは、

日本の民俗学という学問が潜在的に持っているものなのか・・。

 

先生のお話によると、

金華山という島は、まず第一に、漁師たちにとっては地図そのものであった。

漁師たちが沖合いに出ているとき、金華山の大きさがどのくらいで、どのような形かで、

自分たちの居場所を確認する目安としたのである。

それで漁場の地図を作っていった。

つまり金華山とは、いわゆる「山あて」であったのである。

そして金華山は、漁師たちの心の拠り所、生命の拠り所でもあった。

遠くへ行けば行くほど、いい漁場がある。しかし、そこは金華山がもうすでに見えないところ。

金華山が見えなくなったら、命の保証はしないぞ」と、言われていた。

金華山はまるで守護神のように、漁師たちのぎりぎりの命綱として、

彼らのいのちをあずかっていたのである。

そういうところから、金華山に対する畏怖の気持ち、信仰心が生まれていった・・。

 

(「金華山信仰と観光復興」というタイトルでご講演される結城先生)

 

そして長期にわたる遠洋漁業

一年近い操業で、久しぶりに女川漁港に戻ってくるとき

最初に見えるのが金華山であった。なんとほっとしたことか。

無事生きて帰ってきた、金華山が遠くに小さく見え始めた、

拝みながら、自然に感謝の気持ちが湧いてくる・・。

 

金華山のある牡鹿半島付近では、

北からの親潮、南からの黒潮がぶつかる交差点のような場所となっている。

それで非常に恵まれた漁場になっている。

事実、「世界三大漁場」のひとつと言われているのである。

しかしながら、

温度の低い親潮と高い黒潮がぶつかると、自然、霧が立ち込めやすくなる。

つまり金華山の周りでは、潮がぶつかることから流れが変わりやすい、

そして濃霧が出やすいという、漁師たちにとってみれば、非常に危険な場所となる。

金華山周辺の海は、「海難のメッカ」などと言われる所以である。

 

先生は続ける。

恵まれた漁場であるという「豊かさ」、そして金華山の財神のイメージ

(「三年続けてお参りすれば、一生お金に困らない」、などといわれる)から、

ポジティヴなことばかり語られることが多いが、

実はその豊かさというのは、死と隣り合わせに存在するもの。

 

漁という生の営みの中心には、仲間や家族の突然の死が大きく座している。

女川だけでなく三陸海岸の漁村の人々は、そういう生と死が同時に同じ場所を

占めている世界の中に生きているのであり、

そこから「共同体意識」というものが生まれてくる・・。

 

(海で亡くなった人々への鎮魂歌 [先生のスライドから])

 

海での突然の死、そして大津波

それでも立ち上がる人々・・仲間とともに、残された家族とともに・・。

 

そして、先生は徐(おもむろ)にこうおっしゃった。

三陸の漁村はこういってよければ、<悲しみの共同体>といっていいかもしれない・・」

 

結城先生のお話を伺いながら、

その地の底から聴こえてくるようなお話に耳を傾けながら、

僕の意識はふっと、去年三月に行った東北旅行へと飛んでいた。

 

 

その日、僕は東京から新幹線で仙台までいき、車をレンタル、

それから石巻気仙沼へと三陸海岸沿いを走ったのだった。

東北という場所に今まで足を一度も踏み入れたことがなかったのが動機のひとつだが、

やはり東北の震災・津波の跡を、この目で実際に見たかったのだ。

 

その旅で何を感じたかをあれこれここで述懐するよりも、

当日書きなぐったフィールドノートを少し抜粋するほうがいいかもしれない。

表現が雑で、誤解を与えるかもしれないが、そのままのほうがよいであろう。

 

* * * 

 

2013年3月12日

 

最初に訪れた仙台の若林区には、なんともいえない悲壮感が漂っていた。

何もない大地、津波で一方向になぎ倒された松林、

そして新しく建てられた観音様の像、死者を記す石碑。

青空がそれらをすべて明るく映し出す。赤裸々に。

 

仙台市長への苦言の立て看板、黄色のハンカチがたなびく住居跡も。

 

なんともいえない悲劇。

胸が痛くなる。(あのラサのときのよう・・)

純粋に悲劇で、悲しい出来事として空間全体が泣いている・・。

 

仙台市若林区荒浜にて。)

 

石巻被災地。

日和山からの眺め。あの空地が拡がる。

真っ先に目に入るのはお寺(称法寺)、そして、その横に寄り添う無数の墓石。

 

寺の近くにも行ってみる・・。

そこに立ってみる。歩いてみる。

 

あまりにも津波の被害が甚大であったせいであろうか。

あまりにも多数の人々がなくなったせいであろうか。

悲壮感をはるかに越えて、

静かな時間が流れていた。

 

大規模な天災に何度見舞われても、

人々はそこに住み、墓がそこに立ち、

今は墓だけが静かにじっと海の方向をみている。

そして、お寺が墓たちを抱き込んでいる。

そういう場。

 

あの世とともに。

日和山とともに。

 

若林区のその空間は、悲劇。

まるで街全体が、都会の無差別殺人に遭ってしまったかのような不幸、災い。

【死ぬべきでなかった生】がそこには充満していた。

 

石巻も同じである。

しかし、(こういうのを許されるならば)【生きている死】をもが広がっていた。

あれだけの災害に見舞われても、まっすぐ生きている生。

 

昔からずっとそこにある「死と生」のそのまま。

津波が過去何度もそこを襲ってきたであろうにもかかわらず、

寺を建て、墓をなおし、人が住んできた生の場・・。

 

被災した石巻市街。日和山から撮る。左に見えるは称法寺、そしてその横には無数の墓石が海を向いて立っている。)

 

* * *

 

三陸海岸の墓地の多くは、海に向かって立っているんだよ。」

 

金華山復興支援ワークキャンプ初日の宴会―。

僕が旅行者の無遠慮な感覚そのままに感じたことを結城先生に話すと、

静かに頷かれながら、そう教えてくれた。

 

そして、銀色の携帯用ウィスキー容器をポケットから徐に出される。

中に何が入っているか知らないが、一仕事を終えた漁師のように、

美味しそうに喉に流し込まれる。

 

(海によって何度も死に追いやられても、その度に生きるために海に出向いていく・・ 

墓が、死者が、海に向かって最初に立ちあがる。そして、生きている我々の背中を押してくれる・・)

 

(いつ、南海トラフや関東直下地震がやってくるか、分からない・・

そのとき、我々は、このように立ち上がれることができるのか?

彼ら死者たちのように、我々はまっすぐ生へと向き合えることができるのだろうか・・)

 

酔いのなかで、夢の中で、そして記憶の中で、同じ問いがリフレインする。

 

(全体ディスカッションにて。左は結城先生、右は金華山黄金山神社の日野篤志氏。)

 

夜中、先生と飲み交わすこと2時間。

曰く、今日の講演では<悲しみの共同体>なんて言葉を使ったけど、

こんなことを地元の人たちに話したら、「なんてキザな言い回しだ」

なんて馬鹿にされるよ!と笑いながらおっしゃっていた。

 

僕は、「外の人に向かっては、そのくらいの言葉のほうがきっと通じますよ、

僕には十分通じました」(笑)というと、

照れくさそうにしながら、まんざらでもなさそうであった。

 

50歳を前にご自分の経営される仙台の広告代理店をたたみ、

その後二十年以上、東北じゅうの山村・漁村を歩き続けた東北人、結城登美雄。

 

先生のおかげで、(そして、ここには書ききれない他の多くの参加者の方々のお陰で)

金華山に、そして東北に、ほんの少し近づくことができた二日間であった。

関係者の皆さんに本当に感謝したい。

 

ところで、結城先生と飲みながら、もうひとつ重要なことが分かった。

僕が先生のご講演のときに感じた、あの不思議な感覚が、

全く故なきものではないことが分かったのである。

ここでは詳細は書くまいが、これが日本の民俗学の力なのだな、と

あらためて感じ入った瞬間であった。

 

そして、もっと重要なことも分かった。

寒い東北で民俗学のフィールドワークをするのには、

自前の携帯用ウィスキーは必需品であること! である。

 

獲れたての魚の刺身を食べながら、ウィスキーと共に晩酌か・・。

チベットでは到底叶わぬ研究フィールド環境である。

 

東北、いいなぁ・・。

 

 

先の見えない不安のなか、

灯台のように進むべき道を指し示してくれる東北・金華山

今回のワークキャンプは僕にとって、いろんな意味で「山あて」であった。

 

Daisuke/Murakami

 

 

(全体ディスカッションにて。左から、結城先生、日野氏、星野先達、赤坂先生、

そして今回のワークキャンプの主催者、風の旅行社・水野さん)

 

 

1月1日

(ラサの)天気: 快晴

(ラサの)気温: -8~11度

(ラサでの)服装: 昼間・夜間とも、厚手のダウンがオススメです。防寒用の帽子や手袋もあったほうがいいでしょう。日中でも日陰はとても寒いです。空気も非常に乾燥しています。ラサの冬対策の詳細については、こちらをどうぞ。

 

 

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