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~ 人類学者の徒然なる詩考と猛想 ~

チベット人の記憶法 [LHASA・TIBET]

2013年になって、早くも二週間経ちました。

新年のご挨拶が遅れてしまったうえ、

毎度気まぐれなブログ更新間隔で大変申し訳ございません。

それでもなんとかこれからも続けいきたいと思っていますので、

本年もどうか宜しくお願い致します。

 

 

 

 

さてさて、先日の話である。

親しくさせて頂いている、大阪のあるクリニックの先生方にお誘いいただき、

チベット医・小川君の講演会に遊びに行ってきた。

その主催者の先生方にお会いしたかったのと、小川君の講演内容に興味があったからだ。

(小川君は、僕と同じく風の旅行社の「達人ガイド」もしている。)

 

* * *

 

チベット通のみなさんは一度は聞いたことがあるであろう。

『四部医典』という伝統チベット医学の大聖典

 

これを丸々そのまま暗記することが、チベット医学を志す者すべてに課せられる。

暗記といってもその量は半端ではない。

卒業認定試験では、この大聖典の約半分の八万語を、八人の審査の先生方を前に、

そらんじていくのだ。超高速で暗唱しても、四時間以上はかかるという。

これを成し遂げたオガワ男、本当に只者ではない。

 

四時間、何もみず、高速暗唱、である。

この原始的かつ身体的な知識伝達の実践法に、

凡そ人間の知識というものの、その本来のあり方のようなものが存在する気がするが、

今日のトピックはそこには触れずに(大変興味深い領域であるが)、

チベット人はなぜ記憶力が優れているのか、

というか、どのようにして膨大なテキストをチベット人たちは記憶するのか、

について、断片的かつ主観的に思いつくままつらつら書く。

 

チベット人の記憶力の源泉は、仏教への絶対信仰があるから、

そういうチベット人の民族性だから、

などというブラックボックスは、まずは開けないようにしてみよう。

 

(『四部医典』冒頭部分)

 

小川君は興味深いことを先日語っていた。

あれだけの分量を記憶できるのは、四部医典そのものが、物語風に構造化されているから。

なるほど、物語になっていれば、我々の心にも残りやすい。

起承転結、序破急、などの構造があれば、その物語に心をチューニングさえできれば、

すらすら暗唱しやすいかもしれない、というのは我々にも分かる。

だが、それなら一体、四部医典の物語の構造とはどういうものか?

また、そもそも、

チベット人は四部医典を物語として捉えているのか?

(四部医典が「物語的」なのは、小川君独特の洞察なのかもしれないのだ。)

 

といった疑問が残る。

とても大きな興味深い問題であるが、これは将来の探求のためオープンに保留しておこう。

 

チベットの大地: チベット人の記憶力を賛美するある日本人研究者に対して、僕の知人で、才覚豊かなチベット人は、「それは、チベット人の頭の中には、チベットの大地のように<もともと空っぽ>だからですよ!」などと笑いながら答えたという。この自虐ギャグには上の「ブラックボックス」に繋がっていくような真理がそれとなく開示されていると感じるのは、こちら側の誇大妄想であろうか。)

 

* * *

 

本題に戻る。

「どのようにしてチベット人は膨大な量のテキストや概念を記憶するのか」。

 

その秘密は、僕の矮小な認識世界を省みると、

日常の仏教の教えを伝える上で、チベット人(もしくは世界の仏教徒一般)がやってきた

カテゴリー分けにも少し関係しているような気がするのである。

つまりは、「数」(numeral)に頼るそのカテゴリー分類手法と、

精神へのその「数性」的刻み込み(engraving)

名づけて “numeral engraving”

 

これだけではなんのこっちゃ!?なので、例を見てみよう。

チベットのどの僧院の本堂入り口に描かれる「六道輪廻図」

ここには

六つの世界(地獄、餓鬼、畜生、天、人間、阿修羅)だけが描かれているのではない。

心の病の原因である三毒(怒り、憎しみ、無知)、そして、

苦しみが生れる因果関係を表わした「十二支縁起」も描かれている。

 

これだけでも仏教のエッセンスが語れる、とても大切な概念ばかりだ。

 

日常生活では、たとえば「十不善」という言葉で、

仏教徒が戒めるべき振る舞いが、チベット人の心の中に刻み込まれている。

殺生(1)、盗み(2)、姦淫(3)、虚言(4)、仲を裂く言葉(5)、

中傷(6)、無意味な言葉(7)、貪欲(8)、悪意(9)、邪見(10)! 

 

そのほか日常のチベット語でよく出てくる仏教タームとして、

四苦八苦や六波羅蜜、三業(身口意)・・・ など、枚挙に暇がない。

 

そうなのである。

教えのエッセンスが、数(numeral)に符合されているのだ。

これは言語の機能上、記憶に刻みつけ(engraving)やすいのではなかろうか。

 

(セラ寺にある六道輪廻の壁画)

 

翻って考えてみると、我々も普段からよくやることではないであろうか。

僕も、複数の案件を一時的にでも記憶しないといけないときに、

無意識のうちにやっている。

 

例えば、ジョギング中などで、物理的にメモをとれないとき。

また、大事な方、目上の方と一対一で話しているため、

その場でメモにとるのが失礼にあたる状況のとき。

(厄介なことに、脳内の血流が活発になりインスピレーションが湧き出る時に限って、

メモなど取れる状況にはいないことが多いのだ!)

 

たとえば、9つのひらめきが急にぷかぷか浮かんだとする。

そのとき、僕の肉体はジョギングしながらも、

精神の僕はその9つを、内容ごとにカテゴリー分けする。

例えば、

* 修正したほうがよい論文の箇所、2か所、

* 新しく書く新聞記事のアイディア、3つ、

* 連絡しないといけない友人、4人、

と三つに分類できたとすると、

2+3+4という数字と三種の分類名のみをとりあえずは心に刻むのだ。

それから後になって(=メモを取れる段階で)、その数の束を頼りに芋づる式に書き出すのである。

芋のつるにひっかかってこないものは、その程度の価値のものということで、

潔く諦めることにしている。

が、だいたいこのnumeral engraving法で芋がずんずん付いてくるから不思議だ。

 

と、書いたところで、

むかし小川君の講座でもらった、『四部医典』の抜粋の訳をふと見てみる。

すると、その最初の方にはこのようなことが書かれていた。

 

・・・

病には、生じる原因が三つあり、

これに四つの外因が加わり、

六つの侵入口から侵入し、

体の上半身、中半身、下半身、に滞在し、

十五の道を通って、

年齢、場所、時、の九つの要因によって増大し、

最終的には治療不可能な九つの病に至る。

治療を誤ると十二の反転が生じ・・・

 

そしてこのあとには、その詳細な記述が展開されている。

 

うーん、偶然にしてはなんとも素晴らしい発見(笑)!

そういえば、このチベット医学の大聖典の名でさえ、

numeral engravingされているではないか!

根本部、論説部、秘訣部、結尾部から成る『四部医典』なのである。

 

今度小川君に会ったときには、いろいろディスカッションできそうで楽しみだ。

とりあえず、numeral engravingで覚えておこう(笑)! (小川先生、どうかこの思いつきの風狂の相手をして頂戴!)

1)四部医典の物語性について、

2)ブラックボックスとして保留しておいたチベット人信仰心と記憶力の関係について、

3)そして(おそらくは誰かがとっくの昔に指摘しているであろう)数(形式)と記憶(内容)の関係性について。

 

上の内容、ちょっと哲学的というか思弁的すぎるのかもしれないが、外部の人間にとって、

チベット文化にはこうでもしないと辿りつけない興味深い鉱脈があるということを、

僕は体験的に知っている。

 

* * *

 

僕の気まぐれな気性でたまにしかアップしないブログなのに、

新年から長々と抽象的な内容となってしまいました・・(苦笑)。

最後まで変化球のような議論にお付き合いしてくださり、有り難うございます。

 

今度からは内容あるものを書こうと思います。

 

ということで、2013年もどうぞよろしくお願い致します!

 

Daisuke/Murakami

 

(東京・谷中にて)

 

 

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