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~ 人類学者の徒然なる詩考と猛想 ~

チベット現代文学への誘い [LHASA・TIBET]

駐在日記

チベット現代文学・・(!)

この聞きなれない響きのジャンル、

実は今、静かなブームになりつつある。

 

 

 

 

チベット語は、歴史的・文化的には、仏教の教えのための言語とされてきた。

我々外国人がそう思いこんでいたところもあるが、実は当のチベット人自身がそう思っていたのである。

 

それに変化のきざしが現われたのが、この数十年。

新進気鋭の若いチベット人作家たちが、恋愛や家族の確執、そして個人の思いを

チベット語小説」というカタチで表現し始めたのだ。

 

今日は、チベット現代文学の研究・翻訳に長く携わっていらっしゃる

海老原志穂さん(東京外国語大学)に、現代チベット文学の魅力について紹介していただこうと思う。

 

* * * * * * *

 

チベット語で恋愛小説なんて書けるんですね。」

 

某大学のチベット語文献講読の授業に出ていた時の話。

チベット語の恋愛小説を翻訳しています」と、自己紹介がわりにわたしは言った。

それにたいして、仏教を学ぶある大学院生が発したのがこの一言だった。

 

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チベット現代文学の発祥、アムドの大地)

 

 この言葉の背景には次のような事情がある。チベット文字は仏の教えをしるすための神聖なものであり、伝統的なチベット文学とは仏教的な考え方に基づいた説話や歴史物語、高僧の伝記などが主流でありつづけてきた。そのため、恋愛とか家族間の確執とか人の感情の揺れ動きとかそういう世俗のことがらがチベット語で書かれることはつい最近になるまでほとんどなかったのである。

 文化大革命が収束し社会に変化のきざしが見え始めた1980年代になってようやく、チベットでも現代的な小説や自由詩などが書かれるようになった。当時、口語に近い文体で書かれた小説はチベットの人々に衝撃を与え、主人公と同様の悩みを抱える若者たちに共感と慰めをもたらした。

 

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(アムドの子供たち)

 

 チベット現代文学の研究や紹介が比較的進んでいる欧米にくらべて、日本ではその知名度はけっして高いとはいえない。そこでこのチベット語で書かれた現代文学を本格的に日本で紹介していく活動をはじめたのがわれわれ「チベット文学研究会」である。

 

チベット文学研究会」。

名前だけみたら、さぞかし立派な研究会だと思われるかもしれないが、現在、研究会のメンバーは4名。この文章を書いている海老原の他に、大川謙作氏、星泉氏、三浦順子氏がいる。主な活動は、週に一回Skype上で翻訳会を実施し、作品を読んで日本語に翻訳することである。事務所などはもちろんない。

 

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チベット文学研究会のロゴマーク)

 

研究会にはシャルチョー・セルニャといくチベット語の名称もある。日本語に訳すと「東方金魚」という意味になる。これは当初、本郷の「金魚坂」というお店で翻訳会をしていたことに由来している (「東方」はチベットより東にある日本をさす)。

 メンバーそれぞれがめいめいの関心で作品にとりくんでいるが、チベット現代文学の最大の魅力はなんといってもそこに描き出されるチベットの生活、習慣、風景、そしてそれらを通してあらわれる、チベット社会をみつめる作家の視線であろう。

 

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(トンドゥプジャ)

 

最初にわれわれが手にとったのは、チベット現代文学の祖ともいえるトンドゥプジャ(1953-1985) の作品である。

お互い心ひかれあうも親の決めた結婚によって運命を生木のようにひきさかれる恋人たちや文化大革命時に弾圧された語り部の不運な末路、偽の化身 (高僧の転生者) を盲目的に信じてだまされる村人の姿、恵まれない結婚生活の末に仏道に入った尼僧の独白や遊牧地帯で教育に熱意を注ぐ女教師と同級生との淡い恋の物語などなど。仏教書などからはみえてこないチベット人の生の姿がそこには描かれている。

 

新しい文学のスタイルを提示し、チベット人がこれから歩んでいくべき道すじを示したトンドゥプジャは、1985年に32歳で自らの生涯に終止符をうった。才気あふれる作家の早すぎる死は本当に残念なことであった。しかし、彼の死から四半世紀がすぎた現在、トンドゥプジャの作品を読み影響をうけて育った次世代の作家らによってチベット現代文学は内容も文体もより深化し、多様化しつつある。トンドゥプジャのまいた種はチベットの大地に確実に根をはり、色とりどりの花をさかせている。

 

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(タクブンジャ)

 

チベット文学研究会では目下、このトンドゥプジャ以後の作家の代表格であるタクブンジャ (1966-) の作品の翻訳を手がけている。タクブンジャの70篇ほどある作品のうち、「番犬」、「犬」、「犬と主人、そして親類たち」、「ハバ犬を飼うということ」(「ハバ犬」というのはアムドの方言で小型の愛玩犬のこと) といった犬をテーマに書かれた一連の小説がとくに有名である。主人に尽くす忠犬や人にわざわいをもたらす魔的な犬、文革前夜に牧地でおこった犬殺し運動など。モチーフも文体もさまざまであるが、どの作品でも人間に最も親しい動物である犬との関係を通してみた人間たちの姿が描かれている。

 

これらの小説の翻訳は、2008年から雑誌『火鍋子』(ひなべし)において発表もしている。この記事をよんでご興味をもたれた方はぜひ翻訳のほうもご覧いただきたい。『火鍋子』では翻訳の他に、大川氏による作品の解説もついており、作品の書かれた社会的背景やその意義などもあわせて知ることができる。

 

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(アムドの子供)

 

今回ご紹介した作家、トンドゥプジャとタクブンジャはいずれも東北チベット、アムドの出身である。アムドは現代文学が盛りあがっている場所のひとつではあるが、もちろん中央チベットや東チベットのカム、さらに難民チベット社会でも作品は書かれている。これからも研究会の活動を通してさまざまな文学作品を紹介し、チベットのもつ多面性をつたえていくことができたらと思っている。チベットの若者たちの恋の悩みや親子のしがらみ、女たちの罵りあいや飼い犬を失う苦悩などによりそうことでチベットはもっと身近なものになるのではないだろうか。

 

・・・チベット現代文学に関する情報・・・

 チベット文学研究会がこれまで発表した翻訳には以下のようなものがある。今後の翻訳情報も研究会のサイトにて確認できる (http://tibetanliterature.tumblr.com/)。

 

・トンドゥプジャの作品

「化身」『火鍋子』vol. 71: 120-136 (2008年).

「悲しみ」『火鍋子』vol. 72: 84-92 (2008年).

「細い道」『火鍋子』vol. 73: 98-101 (2009年).

「霜にうたれた花(上)」『火鍋子』vol. 74: 76-89 (2009年).

「霜にうたれた花(下)」『火鍋子』vol. 75: 124-138 (2010年).

「恥知らずの嫁」『火鍋子』vol. 76: 146-154 (2010年).

「ペンツォ」『火鍋子』vol. 77: 146-151 (2011年).

「ドゥクツォ」『火鍋子』vol. 77: 152-158 (2011年).

 

・タクブンジャの作品

「番犬」『火鍋子』vol. 78(2011年 予定)

「犬」『火鍋子』vol. 78(2011年 予定)

 

なお、トンドゥプジャに関しては星氏による簡潔な紹介の文章や大川氏の論考を読むことができる。

 

星泉 「〈チベット〉トンドゥプジャ 現代文学の幕開け」『週刊朝日百科 世界の文学113名作への招待』(2001年)

大川謙作 「欺瞞と外部性:チベット現代作家トゥンドゥプジャの精読から」 小長谷有紀・川口幸大・長沼さやか編 『中国における社会主義的近代化:宗教・消費・エスニシティ勉誠出版社 (2010年)

 

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(昨冬も今冬も窓辺で昼寝のシロ)

 

11月15日

(ラサの)天気: 晴れのち曇り

(ラサの)気温: -4~13度 (寒暖差に注意!) 

(ラサでの)服装: 厚手のフリース、ダウン、コートなど。晴れの日は日差しがとてもきつくなるので、日焼け対策は必須。空気は非常に乾燥しています。この季節、雨は降ることは少ないですが、雨具は念のため持ってきたほうがいいでしょう。