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~ 人類学者の徒然なる詩考と猛想 ~

今春、ネパールにて [LHASA・TIBET]

今年の2月の話になるが、ネパールへ行ってきた。

今日は写真とともに少し紹介する。

ついでに<肋骨事件>についても書く。

 

 

 

 

今回のネパール行きは、現地ガイドの研修がその主な目的であった。

風のラダック人ガイドのスタンジン、そしてブータン人ガイドのリンチェンが、

風のネパール支店で日本語研修中とのことで、

僕も彼らの研修に<講師スタッフ>として参加したのである。

 

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(向かって左にリンチェン、右にスタンジン)

 

リンチェンは、(ブータン人らしく?)ゆったりとした感じで、

何を考えているのかよく分からないところがあるが、

いろいろ察して細かく機敏に動いてくれるので、将来のガイド姿が楽しみである。

スタンジンは、血筋からも教育の面からいってもエリートであるのだが、

頭がよいだけではなくハートもあり、非常に信頼できる男である。

決して贔屓目で言うわけではないが、

カトマンドゥ支店のネパール人スタッフたちとも交流するなかでも、

風の旅行社は、現地スタッフに恵まれているのだなと、つくづく思った。

 

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(ボダナートにて、実地講義。

撮影は、カトマンドゥに遊びに来ていた大阪スタッフの前田優希。)

 

さて、

今回のネパール滞在は、

チベット関連の本漁りに奔走する時間でもあった。

 

風のカトマンドゥ支店のある建物の下あたりに、<Vajra Books>という名の書店兼出版社がある。

そこの店主のBidurさんは、「好爺」といった風貌で(もうちょっと若いか・・)、

とても気さくな方であるのだが、その人柄を慕ってか外国のチベット研究者たちは、

自分たちの研究書を出版するべく彼を頼りにやってくるのである。

 

メインストリームの中の研究者たちは、論文やエッセーの発表先に困ることは少ないであろうが、

僕も含め、どこの大学にも所属していない研究者の多くは、<常に>貧窮状態となる。

そういった中で、Bidurさんのような存在は、

我々に救いの手を差し伸べてくれる観音様のように見えてくるのである。

 

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(風のネパール支店に遊びにいった後は、ここに立ち寄ってはいかが)

 

カトマンドゥに来られる方で、チベット関連の洋書に興味のある方は、

ぜひこの本屋に立ち寄ってみるとよい。表に出ているスペースだけでなく、

マイナーなチベット関連の蔵書のある「奥の院」(同ビル三階)もあるので、

そこもお見逃しなく。

 

ただ、買いすぎに要注意である。

僕は後先考えず、6-7万円ほども衝動買いした。

全部で、10kgは超えていた。

購入してから、どのように飛行機の重量制限をクリアーしていくかが問題となった。

 

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(ジャルコットの街)

 

今回もうひとつ、

ネパール滞在で収穫があったのは、ムクティナート方面へトレッキングに行ったことである。

二人のガイドの研修も兼ねていたので、チベット文化が濃く残る

ムスタンの入り口付近をトレッキングコースに選んだのだった。

ほんの数日の間であったが、チベット本土ではもはや見ることができなくなった、

興味深いものが散見でき、僕はトレッキングの間ずっと静かな興奮の中に包まれていた。

 

護符を見るにつけ、村の結界の徴(しるし)を見るにつけ、

そしてその居住空間を歩くにつけ、その興奮は中身をともなって熟成されていく・・。

 

ここは必ず帰ってこよう。

 

ムスタンの南を調査したある人類学の本 ―Vajraで買った本のひとつ―

を、今ラサで読んでいるが、思いは強くなるばかりである。

 

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(ジャルコットにある仏塔)

 

そして!

このムクティナート・トレッキングの間、

なんともホンマにどんくさいことに、肋骨を折ってしまった。

正確には、トレッキングの最中ではなく、泊まった宿で。 

肋骨を「一本骨折、ヒビ二本ほど」という有様であった。

 

ヒマラヤ方面のチベット民家の多くは、<屋上>があり、そこへ上り下りするには

ハシゴを使うのが常なのだが、屋上から降りるとき、そのハシゴをどうやら踏み外し、

僕の体は4メートルほど自由落下の法則に沿うような状態となってしまったのである。

 

不思議なことに、堕ちている間、冷静に自分を観察している自分がいた。

堕ちた次の瞬間、

「この(宙に浮いている)状態が、長く続くとヤバイことになる」と思い、

下に激突した瞬間は、

「ああ、短かった、よかった」と安堵感でいっぱいであった。

そのすぐ直後に激痛が襲い、息ができなくなったが、

まるで<幽体離脱>しているかのように、自分を見つめている自分がいた。

どのような状態に自分の体はなっているのか、

体の四肢をひとつひとつゆっくり動かして確認し、

肋骨がイッテしまったであろうことも、そのときに分かった。

自分の喘ぎ声を聞く自分がいて、痛がっているんだな、

コイツは、と思ったり、とにかく奇妙な感じであった。

 

そうこうしているうちに、隣の家にいた犬がワンワン吼えているのが聴こえてきた。

激突の音で驚いたのであろう。

「肋骨折れたのに最初に気づいてくれたのは、なんや犬かいよ」

とその時思ったのを覚えている。

 

ほんの10秒ほどの出来事であったであろうその顛末は、

まるで時間がびゅーんと伸びたようになっており、いろんな瞬間が詰め込まれ、

今考えても、とても不思議な時間の流れ方であった。

 

幸いだったのは、堕ちた下にはちょうど木製のベンチがあり、

それが体を受けとめるクッションになってくれたおかげで、

たいした怪我にはならなかったことである。

ベンチの下の地面は石畳であったのである。

 

翌朝起きて、朝日の眩しく当たったそのベンチを見ると、

何本かの板が痛そうに割れていた。

「オレの今の肋骨も今こんな感じなんかな」、と思いながらボーっと見つめていたが、

肋骨はしばらくしたらくっつくが、このベンチはもう<死に体>だな、

と思ったら、なんだか少し申し訳ない気持ちになった。

 

* * *

 

とにもかくにも無事であったので、

これはムクティナートにおわすヒンドゥー教の神さまのご加護か、

と思いたくなった。

 

ジョムソンへの帰り道を歩きながら、

日本語レッスンついでに、一緒にいたスタンジンに

これは「不幸中の幸い」と言えるだろう、と教えたが、

彼は、おおそれは、英語でいうところのBlessing in Disguise(偽装された祝福)か!?

と答えていた。

 

違う、それは違う、と僕は言ったが、

でもよくよく考えてみると、重なる部分があるように思える。

「不幸中の幸い」は、何かしらを感じさせるものなのである。

 

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(CIWEC病院にて)

 

カトマンドゥに戻り、CIWECと呼ばれる外国人のよく行く高級病院で診てもらった。

 

スコットランド訛りのその丁寧なイギリス人の医者は、

気胸ができている(肺の外に空気が漏れている)ので、飛行機に乗るのを数日遅らすこと、

そして、

肋骨に負担をかけないようにするため、エコノミークラスではなく、

ビジネスクラスで日本に帰るよう僕に言った。

 

そのおかげで、

懸案であった、チベット書籍で膨れ上がった荷物を、無事日本に運ぶことができた。

ビジネスクラスの荷物の重量制限は30kgだったのである。

 

Daisuke Murakami

 

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(左はスタンジン、右は風のネパールガイド・スルヤさん。

トレッキングに同行してくれたスルヤさんには、ご心配をかけ、お世話になった。)

 

カグベニやムクティナートを訪れるなら!

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5月21日

(ラサの)天気: くもり時々雨

(ラサの)気温: 8~21度 

(ラサでの)服装: 昼間はシャツ、フリースなど。 夜は(厚手の)フリース、ジャンパーなど。 日焼け対策は必須。 空気は非常に乾燥しています。雨季に入りかけています。雨具は持ってきたほうがよいでしょう。また、風も強く吹くことも多いので、マスクなども役立ちます。